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パスパ文字('Phags-pa script)を知る

(14)綴り方の特徴

 次の表をご覧ください。これはchin(チィン),chun(チュン),chen(チェン),chon(チョン),chan(チャン)という 発音が仮にあったとして、これをチベット文字、パスパ文字、ウイグル文字でどの様に綴るか を試みに書いたものです。 一段目はローマ字で綴った発音。二段目はチベット文字、三段目はパスパ文字、四段目は ウイグル文字となっています。


 まずチベット文字の特徴を確認します。
チベット文字はchに当たる子音字の上下に母音字i,u,e,oを書き、その右隣に子音字nを 置きます。それぞれの右肩に小さな点のようなマークはチベット文字の綴り方にとって 大切なものであり、これで音節の区切りを表わします。チベット文字で綴られた文は、 1音節ごとに分かち書きすることになっています。これが一つ目の特徴です。次に、最後の chanを見ると母音のaが書かれていません。これはどういうことかというと、チベット文字 には母音のaを書き表す専用の文字がありません。子音字と半母音字の後にi,u,e,oという 母音字がない場合、そこに母音のaがあると見なします。これは特徴の二つ目です。このようで あると、子音のchとnが並んでいる場合、1音節毎に綴られるので、chanaというのは無いと しても、chanなのかchnaなのか分からないということになります。漢語の場合、 {子音+子音+母音}というようなタイプの二重子音の音節がないため、子音のchとnが 並んでいるときは必ずchanとなります。ところが、チベット語を綴る場合には二重子音が あるので、chanなのかchnaなのか検討しなければならないということになります。もっとも、 たまたまチベット語には、{ch+n+母音}という音節はないので、chとnが並んでいる ときは、やはりchanのように母音を補うことになります。それぞれの言葉の音節構造の 特徴を知っていて、それではじめて適切に母音のaを補うことができるというわけです。 文字を綴っていく方向ですが、チベット文字は左から右に綴っていきます。書記の方向は、 ラテン文字で英語を綴っていくのと同じです。これがチベット文字の綴り方の三つ目の特徴 ということになります。

 次にパスパ文字の正書法を確認します。
パスパ文字の綴りを見ると、パスパ文字はチベット文字を角張らせて作ったものだと いうことが良くわかります。綴り方も、チベット文字の三つの特徴のうち二つまで受け継いで います。一つ目は音節毎に分かち書きをするという点です。チベット文字のように音節の 切れ目を示す点はないけれども、その代わりに1音節は続けて書かれます。英語の筆記体の ように連書されるわけです。この点はウイグル文字と同じです。このような、文字を連書 する法は、ウイグル文字を真似たものです。ただし、パスパ文字が連書されるのは1音節 のみです。ウイグル文字にはこの制限はありません。2音節でも3音節でも連書され、 単語など意味の切れ目がある所まで連書されます。この点は、ウイグル文字と、パスパ文 字・チベット文字との大きな違いとなっています。二つ目は母音のaの問題です。チベット文 字のようにaを表す専用の文字はありません。子音や半母音(半母音をu^やi^で書くことにし ます)の後に他の母音が無い場合はaを補います。したがって、gやgu^やgi^が書かれている 場合は、ga, gu^a,gi^aというようにaを補うことになります。以上の二つ、つまり1音節毎 に分かち書きされるという点、母音aが書かれないという点は、パスパ文字がチベット文字 から引き継いだ綴り方の特徴です。

 綴りの方向はチベット文字とは異なります。チベット文字は左から右に進むけれども、 パスパ文字は上から下に文字を続けていきます。このようなパスパ文字の綴りの方向は、 ウイグル文字と同じです。ウイグル文字の影響を受けているわけです。縦に書かれる点 は、一見漢字の漢語と同じように見えるけれども、行は左から右に読み進むようになって おり、この点は漢語とは逆です。この点はウイグル文字の綴り方の影響です。

 要するに、字形、音節毎の分かち書き、母音aに専用字がないこと、この三点はチベット文字を受け継ぎ、文字の連書の法と綴りの方向はウイグル文字を受け継いだということになります 最後にウイグル文字とパスパ文字を比べてみましょう。

 ウイグル文字とパスパ文字を見比べると、パスパ文字で区別される母音のuとo、 およびeとaが、ウイグル文字では形が同じになります。ウイグル文字では母音のuとo、e とaを区別しません。母音だけでなく、じつは子音のtとd、kとgなどの区別もありません。 そうであるならば、当時のモンゴルの人たちは、ふだんはウイグル文字でモンゴル語を 書いていたわけですが、発音を区別しない文字で綴ることで何か問題はおきなかったのかと いう疑問がでてきます。パスパ文字のほうが正確で良いのではなかろうかと考えたくなります が、そうではありません。言葉を知っている人にとって、文字は単語を暗示してくれるだけで 十分です。詳しすぎる区別はかえって面倒なだけということなります。したがって、初めて その言葉を学ぶということでない限り、パスパ文字の表音が正確だから使いやすいという ことにはなりません。



(1)パスパ文字の実例(貨幣銘文)

(2)いつ誰が作ったのか?

(3)パスパ文字の背景

(4)基本資料『元史』の釈老伝

(5)なぜパスパ文字を作ったのか?

(6)日本のパスパ文字資料

(7)パスパ文字という名称

(8)パスパ文字以前の文字

(9)パスパ文字で何語を書いたか?

(10)パスパ文字モンゴル語とパスパ文字漢語の碑文

(11)パスパ文字の用途

(12)パスパ文字の使用地域

(13)パスパ文字の文字表

(14)綴り方の特徴

(15)書写の方向

(16)パスパ文字を読む

(17)基本参考文献

(18)チベットのパスパ文字


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