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慶谷壽信学術資料庫

開設のことば

 慶谷壽信氏(Keiya Toshinobu, 1936-2016)の学術資料庫をここに開設いたします。 中国語音韻史ならびに有坂秀世の研究者であった慶谷氏は、名古屋大学で学部・大学院を過ごした後、 東京都立大学で31年間、長崎外国語短期大学(のち長崎外国語大学)で6年間の研究生活を送りました。 若い頃には敦煌出土の音韻資料の紹介や入声韻尾の消失過程などの研究に取り組みましたが、 40代後半以降は主に言語学者・有坂秀世の生涯を明らかにすることに精力を注ぎました。 その間も、各種音韻資料や中国における音声学の発展等にも目配りを怠りませんでしたが、 軸足は常に有坂秀世という一個の学者にありました。 有坂秀世は日本語音韻史と中国語音韻史に確固たる業績を残し、さらに独自の音韻論を組み立てるなど、不世出というべき学者ですが、 慶谷氏はその業績のみならず、生き方にも強く惹かれたようです。

 慶谷氏のもう一つの一面は、すぐれた教育者であったことです。 ただし一般的にイメージする「教育者」とは少し異なるかも知れません。 自らの知識を惜しみなく伝授するとか、研究法について事細かに指導するということはありませんでした。 沈黙の多い人であったことは、氏を知る人々が口を揃えて言うところです。 にもかかわらず、慶谷氏の教え子たちはほとんどが大学での職を得て全国に散らばっています。 口の悪い弟子たちは、師の無言のプレッシャーに耐え切れず、 踏ん張って学会発表やら論文執筆をこなしたのだと言うかも知れません。 しかし結局のところ、やはり皆それぞれが“薫陶を受けた”という表現が最も適切なのでしょう。 言葉ではなく、身をもって研究者としてのありようを示したのです。

 氏の主な著作の一つに『音韻のはなし』があります。 これは李思敬著『音韵』の翻訳ですが、およそ通常の翻訳の概念を超えたものです。 佐藤進氏との共編訳で、本文の日本語訳は主に佐藤氏が、訳注は主に慶谷氏が担当したそうですが、 その訳注は時に本文の記述を批判しつつ書かれています。 その「まえがき」においても、日本漢字音に関する記述が正確でないので、 できるだけ早い機会に書き改めるようにと原著者に注文をつけています。 そして「まえがき」の最後には 「ときに学習者の注意を惹くことが進歩、発展の種子になると考えて、節度を越え、あえて暴走したところもある。 非難は、甘んじて受ける覚悟である。」と強い決意が表明されているのです。

 謹厳実直を絵にかいたような人物であり、無言の時間をいとわない人でしたが、 ひとたび研究の事となると一切の妥協を許さず、ひたすらに突き進む学究の人でした。 そのような息吹をこの学術資料庫から感じてもらえればと願っています。
(中村雅之 2024.3.26)


1.開設のことば

2.慶谷壽信氏略年譜

3.慶谷壽信氏著述目録

4.対談集「慶谷壽信先生の学問などについて」(吉池孝一、中村雅之)

5.手稿集

6.関連資料

7.『有坂秀世研究−人と学問−』(慶谷壽信、2009)


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