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屈子祠は屈原を祀り、記念するもので、漢代に創建され、清の乾隆21(1758)年に現在地に移されました。 中に入ると司馬遷「史記 屈原列伝」が金文字で刻まれて掲げられており、



屈原の像が立っています。



中には「故楚三閭大夫屈原之神位」、屈原の霊が祀られています。





展示室には屈原の生涯が木板に絵と文で丁寧に解説されています。



入水した屈原を探すために人々が急いで舟を漕ぎ出したのが競艇の始まりといわれ、 日本でも「ペーロン祭」として、長崎や相生(兵庫県)で行われています(長崎は今では7月に行われています)。 屈子祠にはそのペーロンで使われるという舟も展示されていました。



屈原が身を投げたといわれる汨羅江です。 端午の節句の粽は、屈原が身を投げた時、魚にその身を食われないようにと人々が竹筒に米を入れ、 川に投げ入れたということから始まったといわれています。 両岸を行き来する渡し船には車も載っていました。



屈子祠から東北へ約5km、畑が広がる中に点在する屈原の墓があります。 「点在」というのは、「屈原の墓」といわれる土墳が12基も存在するためです。 屈原の墓を荒されることを恐れた人々が、ダミーの墓をつくったものと言われており、 どれが本物の屈原の墓なのかはわかっていないとのことでした。 「故楚三閭大夫之墓」という清の同治6(1867)年の碑や、光緒28(1902)年の「三閭大夫之墓」という碑のあるものもありましたが、それが本物だとはいえないそうです。 このあたり一帯のどれかです、というように、細い道に沿ったところに「屈原墓」の碑が建てられています。



あたりには豊かな畑が広がっています。





石碑があっても本物とは限らないそうです。



どれが本物の墳墓でしょうか?訪れる人もめったにないような、 道もバスがやっと通れるくらいの畑の中、今もどこかで屈原は静かに眠っているようです。